秩父神社タイトル 

   

御創立
人皇十代崇神天皇十一年(凡そ二千七十余年前)
秩父国造の始祖知知夫彦命が御祖神八意思兼命
を奉斉したときと記録されている。

御社殿
天正二十年(凡そ四百年前)
本殿、幣殿、拝殿、連繋三棟合殿権現造

*説明文などの記事は秩父神社参拝のしおりから*
   
御祭神
「八意思兼命」
   政治、学問、工業、開運の祖神

「知知夫彦命」
   地方郷土開拓の祖神

「天之御中主神」
   宇宙創造神、神仏習合説妙見信仰の神

「秩父宮雍仁親王」
   昭和天皇の弟の宮・登山をはじめ広く
   スポーツを奨励し給う

   
秩父神社本殿
本殿正面天井



現在の社殿は戦国末期に兵火に罹り炎上
後に徳川家康公が造営を進めたもので、
当時の棟札が保存されて社宝となっている。

昭和天皇御即位に際して国弊社とされた。

昭和四十一年台風により損傷して解体復元、
同四十五年秋竣成、併せて彫刻類も極彩色
で復元された。
「子育ての虎」・左甚五郎作
拝殿の彫刻原画は全て狩野派である。
子虎と戯れる親虎の彫刻に珍しい色彩を見る
ことができる。

虎の群れに必ず一匹の豹を描くのが江戸初期
よりの定法であり、所謂「群虎ニ壱豹ヲ添エル」
決りである。
当社を御造営した徳川家康公は寅年生まれで
虎にまつわる物語りは少なくない。
それにより名工左甚五郎が家康公の威厳と御
祭神を守護する神使として彫刻lに施したもので
ある。
子育て虎(左甚五郎作)
左甚五郎作「繋ぎ龍」
故事により東北を守護すると伝えられる青龍の
姿を、名工左甚五郎が御祭神を守護する神使と
して社殿彫刻に施したものである。

かって秩父神社の周囲は柞の森(ははすのもり)
と言われ昼なお暗く巨木が鬱蒼と繁っていた。
森に深い井戸があり、夜毎に龍が水を呑みに出る
と噂され怖れられた。
以来鎖で繋ぐことになった「繋ぎの龍」である。
「天神地祀社」
秩父総社延喜式内社、関東の古社として知られ、
延喜式内一の宮を天神地祀社に祭っている。

ここを訪れて国内の一の宮を参拝できることに
なる。
                    (境内東側)
.天神地祀社の御祭神
天神地祀社
北辰の梟
「北辰の梟守」
本殿北側に珍しい彫刻があります。
御祭神をお守りする北面の使いフクロウで
秩父神社に縁の深い瑞鳥です。
古くから梟は知恵のシンボルと言われ御祭神
八意思兼命は、学問、政治、工業開運の祖神
として崇敬されてまいりました。
御祭典
例大祭・・・十二月三日(国指定無形文化財)
 *儀式荘厳善美を尽くす
 *豪壮華麗な屋台笠鉾の曳き廻し
 *仕掛煙火は関東随一の称あり
川瀬祭り・・・・七月二十日(別称祇園祭り)
 *神輿洗い(荒川武の鼻に御神幸)
 *屋台笠鉾八台は小中学生によって
   曳かれる
節分祭(鬼やらい行事)二月節分の日
祈年祭(御田植祭)四月四日
新嘗祭(新穀感謝祭)十二月六日
本殿前庭
秩父神社夏祭り
「川瀬まつり」と呼ばれ、七月二十日。
荒川(武の鼻の渡し場があった場所)で
神輿洗いが行なわれる。
前日夜も八台の山車に雪洞を飾って市中
を牽き廻す。
子供中心の祭りであり、近年は夏休みや
土日曜に合わせて日取り変更することも
あった。
年配者には”お祇園”と呼ぶと通じ易い。
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